キャンドルナイトで魚の話

100万人のキャンドルナイトに参加した。息子を誘った。「キャンドルナイト行こう」「何それ?」「以前寺であったのに行ったじゃん」「ああ、ああ、話はおもしろくなかったけど、お菓子がおいしかったから行く」と子どもらしい答え。一寸間をおいて、「お菓子があるなら抹茶持っていこう」と言った息子と、野点セットもって参加。
そこでのメインは上田勝彦さんの話。タイトルは「生き物・人間が生きる道」。水産庁境港漁業調整事務所資源管理計画官などという長い硬い舌も噛むような肩書きからは、想像できないような風貌とひとぢから。
ずっと海を見、魚を見、本も山ほど読んでそうして結局、天の掟を受けとめ得た人の話。温暖化ということが如実に見える話や、魚の胃袋に入っているものから異変を察知する話やら、その筋の人ならではの具体性が力を持つ話。
エコシステムということ、食う連鎖の話、そして人はそのピラミッドのどこに位置するのかという問いかけ。自分の身を捧げなくなった、そんなニンゲンは「自然の一部」なんて言えるのか。
地球と心中することも十分考えられる。過ちを何度だってくり返す。しかしニンゲンには自由意志がある。そこで、ニンゲンはどうするのか。
そんな、のど元に匕首突きつけられているのが現実だということを、よどみなく説得的に、語られた。
ぼくはあることを思い起こしていた。宗教性即ち「善悪の彼岸」というより善悪の超越的此岸、そこを根底にして、善悪にどう出ていけるか。その意味での宗教的倫理がぼくのこの10年ほどの課題であり、大学で環境問題を話すときの最後の話題でもあった。そこで、鈴木大拙の言葉やルターが言ったと伝えられる、人の最終的なすわりとなる言葉を思い起こしていた。