さくら経験09

目玉曇って、つらの皮厚くなって、いろんなものを犠牲にしながら仕事ばかりやって、境港は殺風景だとか言って、鈍感な自分の、風景を殺す意識の、責任を転嫁し、すっかり普通の大人になってしまった。
この鈍物を目覚めさせるには一つや二つの刺戟では足りんとでも言うかのように、三つ。三つが一挙におそった。
仕事終わって表に出ると暗がりに、雲のような満開の桜。その雲をかいくぐって望月。たまたま居合わせた娘が「今日花まつりだよ」というので、これはもう西行さんが見え隠れせずにはおれない。
狂おしい魂は、桜を見ると「きれい」どころではなく、「心の内ぞ苦しかりける」「わが身をさてもいづちかもせむ」と感じてしまう。だからこそ、おのれを狂わせるその花が救いになる。仏陀へのつながり(誕生日ではなく命日ではあるが)、それに桜と望月とがあれば、死んでも大丈夫だと言える落所で安らぐことができるのだ。
ねがはくは花の下にて春死なん
そのきさらぎのもち月のころ  西行