追悼N

30代半ばの女性の友だちが死んだ
その日ぼくは幼稚園の誕生会で全園児に向けて話をしていた。
かぐやひめが月に帰る、それは死んでしまったということなのです。おじいさんでも、若いお姉さんでも、生まれたばっかりの赤ちゃんでさえも、死んでしまうのです。順番はありません。「老少不定」と言います。
満月の光顔巍々と照りわたり  福田 蓼汀
死んで終わりぢゃなく、どこかに行く。お浄土に行く。お月さまの顔はあみださまの光輝くお顔です。大事なことは、遠くに行くということ、そして、遠いだけぢゃなくそこから光が届いているってことです。
こんな話をしていた時、彼女は死んでいた。



死んでゆくその「ゆく」が動いていく先が考えられる。解体の過程である生命体が、生きて有るということが無くなる、そこに、無いが有るという奇妙な事態に出くわす。その事態が不可避であるかぎり、われわれにとってなお、彼岸というものが意味を持たざるを得ない。
 彼岸という遠くが、遠くのままでは「関係ない」と言えてしまう(本当は関係がないのではなく関心がないのだが)。こちらからは“遠く”が、向こうから来てる。その構造を身につけるトレーニングをするためには、月がよい。月がさとりの象徴であるというのもごもっともなこと。
 親鸞的にいえば遠くへ乗せていくべくここに来ている光は、言葉である。名前の佛である。呼ばれ・呼ぶ名。双方向、その両端がセットされた名である。



彼女のお見舞いに何度か行った。行く度ごとに、表情、体の動き等、おばあさんのようになっていった。若くして、さまざまなめぐり合わせの中で、死んでいく人がいる。悔やんでも悔やみきれない、つまり恨みに変わるような、不運が重なる。偶然の重なりの中で定められてしまった必然だけは容赦なく時を刻む。
そんな悲運を具現している彼女は、生きて死んで行くことの真実を、そしてぼくらが忘れてしまいがちな真実を、まざまざとみせてくれる。ぼくはそういう人にふれると、やっと少し生きていくことの針がまともゾーンにふれるように思う。日々の中に太い芯がたつ。ありがたい。
彼女がそういう風な姿で生きていてくれるそのことが、ぼくに力を与えてくれる。生きていることしか考えない人、生きているということに安住している人、そういう人からは決して放出されない霊気をぼくは吸って生きることができる。そんな謝意を彼女に伝えると、彼女は泣きだす。こんな私に、こんな何もできない私に、そんなこと言ってくれるなんて、と。そんなことを言うことが悔しいような切ないようなもったいないような不憫なような気持ちになる。「何もできない」で「病気で寝ているだけ」というのは負い目になるようである。
自尊感情と有能感とが、その欠如のゆえに大事だと言われているご時世である。であるがゆえにその二つをいっしょくたにしている言説にあふれている。しかし、有能であることと、自己肯定感や自尊感情で求められていることは違うどころか全く逆でありうる。後者の方が根本的だ。自分で自分を慰める式の自慰でなく、ゆるぎない自己肯定は、自己否定から来る。自己否定とは自己の能力(と能力を自己と思いこむ自己)が無用になったり無意味になったりすることである。そこで、もろもろの能力をも支える、自己の「存在」があらわになる。意識や能力の次元での自己でなく、存在の次元の自己があらわになる。柏木氏のいわゆるNot doing ,but beingである。病に伏せっている人が、この、有ることの力を知っているなら、先の負い目から解放されるのではなかろうか。
薬などの関係で眠れなくて苦しんでいる時もあった。子守唄を歌ったらぐっすり眠った。最後のお見舞いになった時も、ほとんど寝顔を見るだけの数時間。訪ねた時、まなざしはほぼこの世に焦点を結んでいないようだった。足をさすると気持ちいいらしく、見舞いに来ていた妹に頼んでいたので、ぼくがやらせてもらった。すると、数分とたたないうちに眠りに落ちた。瞼を閉じると、存在感が変わる。まなざしが醸し出していたあの世とのつながりは消えたかのように、この世で眠っているだけのような平和な感じがあった。



ところで、私立幼稚園の中国地区大会が夏にあり、記念講演が宮脇昭氏だった。80歳を越えてなおギラギラした元気の持ち主で、ナマのいのちの尊さ、はかなさ、すばらしさを子どもの本能になるまで教えきるということを繰返し繰返し強調された。その国や風土や土地の植生を考えて植林せよという教えとその実践たる足跡は敬意を払うほかない。
ところがその大先生が「一番大切なのは生きているということだ。これほど幸福なことはない」とおっしゃる。今の日本人に無条件に受け入れられるような流行思想みたいなフレーズだ。いのちのむなしさはどこ行った? そう思って、宮脇氏のために開かれるオーストリアの学会への飛行機に乗ろうと急ぐ先生のため講演会を打ち切ろうとする司会をかいくぐって質問させてもらった。
10時間にもおよぶ手術が3回も失敗し、病が身をむしばみつづけるぼくの若い友人にとって、生きているとは死んでいくことだ。生きていく力は癌が身を食い荒らす力である。生きていくというのが疎ましい。苦しい。痛い。とうとう「死にたい」というようになった。そんな、生きていること自体が重荷になっている人にとって、「生きているということが幸福」と言えますか、と。
 速やかに答えをくださった。「死にたいなんて言わずに、死の最後の瞬間まで生きていく。それが最も、尊い。あと3年でも1秒でも、瞬間の尊さは同じ。質は同じ。」
おめでたい。一度も沈んでない。一旦むなしさに立ち上がれなくなる、そんな一旦が経験されているとは思えない言説だ。答えてくださったこと自体に誠実さは感じる。でも内容はお話にならない。結局、内容空虚な同語反復にすぎない。生きているのは尊い、なぜなら生きているのは尊いからだというオウム返しのような思考、問いを挟む余地をなくすかのように繰り返すことで強化して出来上がった先入観、それがあれこれ姿を変えて語られているにすぎない(「生きていることが尊い」が実は「長生きしたい」の言い変えであることは2007-6-17ブログ参照)。あとから色んな人が、いい質問をしたとかそれにすぐ答えた宮脇先生もよかったとか、西元さんらしいとか言ってきた。あの答えでよく引きさがったねとも言われたけど、ぼくが質問を重ねる時間はその人には残されていなかったし、再質問はぼくの考えを加えなければいけなくなり、それは質問でなく意見になるので、しなかっただけ。「そんな質問したの?対象化されたところで言ってるのだから・・・対象化できないところを言っちゃったの?無理だよ。」「ものを考えさせるようなこと言ってもあの年ではもう聞けないよ」などと言うコメントももらった。
まったく、生きていることが尊いなんて誰が言った。そんなむなしい思想を誰が吹聴してるんだ。



あることを無条件で輝かしめるそれを、浄土というおうが、絶対無と言おうが、かまわない。そこでしょ、「なくてはならないものはただひとつ」というのは。


後日談
月が雲間から姿をのぞかせる晩秋の夜道を歩いていた時、双子の娘たちいわく、(満月を見ながら)「N(彼女の名)あそこにいるかなあ」「あみださまといっしょに遊んでるんぢゃない?」