インフルエンザ対応

 インフルエンザが猛威をふるっている。
これほど多くの顔にマスクが覆われたことはなかっただろうし、消毒液が売れたこともなかったであろう。
これほど蔓延すると、二つの対応に分かれてくる。がいして、ものごとへの反応には相容れない二つの極端があり、その間に多種多様の玉虫色がある。
多種多様といっても、両極の二つのいずれかに属すことが必至である場合がある。というのも、グラデーションは心・意識にあり、行為においては白か黒か、だからだ。この場合の両極とは、受け容れるか排除するか、である。
「濃厚接触者」という聞き慣れなかった言葉が人口に膾炙した。この扱いを巡って、先の二方向が見えてくる。ウィルスに人間がかなうわけないと、なるときはなるというかまえ。他方、その家族を家庭内で隔離し、決して家族内感染がおこらぬよう神経をすり減らし、更には、その家族の通った後を消毒するといったことまでする人もある。 
病気の人は心細い。傍らに誰かいてほしい。看病し病さえ共有するのが家族ではないか。しかし、今や隔離である。その行き過ぎには、ほとんど差別ではないかという恐ろしさを感じる。どうしてそこまで病気を忌み嫌うのか。さらに病気が付着しただけであるはずの、その人までも排除する勢いである。
生老病死」が人間の不可避な現実であるというのが、覚者の洞察である。