流木・白骨

流木を使った室内装飾やちょっとしたオブジェが雑貨屋などで売っている。売っているばかりか、自分で作ってしまう人もいる。そういう人は弓ヶ浜などに行って流木を拾ってくる。ほんとにこんなの落ちてるの?と疑いたくなるような形。見出す眼がなければ、それは浜の砂粒とかわりはない。あしらい方次第でアーティスティックに見えるものだと感心する。     
フリーマーケットや手作りを楽しむ人が増えているように思う。それらの流行が「不況」の副産物だとしたら、ピンチはチャンスである。何でも買って済ます消費社会のなかで、退化していく能力、「作る」ということが、再興するのは人間の基礎力としてとっても結構なことだと思う。
流木の美しさは、波に洗われ洗われた果ての白さにある。それは白骨の美しさに似ている。サルガドの写真にうつる飢餓の人々の美しさも、同質のもののように思われる。私たちの将来の姿かもしれないし、今でさえその美しさに肉の衣が覆っているにすぎない。