山陰的霊性

境港という名の語源はいくつもあるであろうが、黄泉ヶ浜(弓ヶ浜)の先にある境ということで、黄泉の国との境という説があるようだ。これはおもしろい。
生者の国と死者の国との境、生と死のあわい、陸と海、海上と水底、たそがれ等々、境とは、異なったものが出会ったり別れたりする場所、二つのものが一つになったり曖昧になったりするところ。そこにこそ、妖怪は跋扈するのであり、天使や菩薩の活躍する空間がある。文学や哲学はそこに源泉をもつ。
前向きで明るいことがもてはやされる昨今、黄泉を夢想できる風土的身体として生きる可能性が、境港にある。明るさしか捉えられない知性には、陰をねじこめ。明るさにならされた眼の死角である陰が実は、明るさを包みゆるしている。黄泉は山陰的身体が感知する風土的ファンタジーとなる。陰を思い知ることで、やっと境が見えてくるのだ。
ブラボー山陰! ブラボー境!