光陰矢のごとし

「光陰矢のごとし」というのは時間が早く過ぎ去ることを矢にたとえたものだというのは言うまでもないが、その矢がどう飛んでいるのか。
目の前をビュンと横切って去っていくと思っていたが、そうではなくて、ある時気づいたのは、その矢は自分を突きさして飛んでいるのだ。というのは、上田閑照先生から聞いたことである。へえ、偉い人は、まあ古い言葉で言えば実存的というのか、自己を外さずにあらゆることを考えるものだなあと感心したのははや二十年も前かあ。ぼくはといえば感心はしたけど必ずしも実感になってはいない。まあ、そういう境地に至っていないということなのだろう。

時間が貫いているのいうよりも、時間に取り残されていく。絶えず時間に遅れてしまって、ついて行けてない。気づけば、どんどん行ってしまっている。これがぼくの今の実感。カッコよくないし、深くないし、むしろトホホな状態であることがバレる。
こんなんであっても、やっぱり時間っておもしろい。時間ほどの謎もない。そして、卒論って大事だよって言うアドヴァイスは、ほんとにそうだと思う。