子どもの言葉(35)形なき物の形を見、声なきものの声を聞く

「お浄土って形がないんぢゃないか。」
きのう小学校を卒業した息子が唐突に呟く。
「この形があると不便というものがある。形がないとそれがない。」
子どもの言葉、子どもの問いと題して、いくつも息子の言葉をひろってきた。彼がまだ1年生の頃の、「石はどこからうまれた」「空はどうやってできたの」等々の鮮烈な問い、そこから展開する思惟を、いくつも辿った。さまざまな領域が分野などという枠にはめられない未分化状態で結ばれていた低学年時に対して、今や教科としての「理科」も「社会」も勉強した。「石」への問いは鉱物への関心へ導き、更に元素への関心へと行き着いた。今では口を開けば元素のことばかり言っている元素マニアだ(正確に言うとそれはちょっと前で、今は古代エジプトマニア)。空への関心は天候や星座をもまきこみ、今年の正月にはニュートン反射望遠鏡を買うに至っている。そして両方向は同地点に着地するようである。多様な関心を多様なまま、しかも結びつきを強くもちながら展開してきた6年間だったが、それらの豊かさ全部と引き換えても、このような、ある意味抽象的な問いが立ちのぼることが、僕は何よりうれしい。
「形がないのが一番美しいんぢゃないか、っていうか、何もないっていうのがいちばん美しいと思う。」