数にものを言わせる?

子どもの日ってことで、映画館に行った。で、どう思います?
「スーパーヒーロー大戦」って映画。仮面ライダー×スーパー戦隊
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近年、仮面ライダーの映画では、全ライダーが集まるようである。いや、近年ぢゃないか。僕の子どもの頃でもストロンガーか何かで、全ライダーが集結していた。「おお」と思った。今どきは、それが定番になっているようで、お盆にいなかで開かれる同窓会ぢゃあるまいし、それでも僕の子どもの頃集結したライダーは7人だったが、あれから何十年も経っているから、集まるライダーの数もそれこそ同窓会レベルにはなっているだろう。
それから、戦隊ものもそういうことをやっているのか。ライダーなら比較的見分けがつくが、アバレンジャーゴーオンジャーシンケンジャーもちがいがわからない。ところが最近の戦隊もので、今までのどのレンジャーにも変化するのが現れたらしい。そのせいか、ゴレンジャーの姿を見受けることが多くなった。これは商売上手というのかあこぎな商売というのか、ぼくだってゴレンジャーの姿を見るとノスタルジーを感じる。親が率先して子どもと一緒に映画に行くかもしれない。
最近こういうやり方に身を染め始めたのはプリキュアだ。毎年新しいプリキュアが出て、それが幼稚園児にモーレツに流行って、毎年プリキュアオールスターズの映画を作って、今や女の子の世界ではプリキュアが平家状態である。初代の「ふたりはプリキュア MAX HEART」にはカルチャーショックを受けた。歌舞伎の影響かと思うようなところもあったが、女の子のアニメで「戦う」ということ、その戦いっぷりなどにも驚いた。初代は内容的になかなか考えられているところもあってクライマクスも面白かったが、どんどん俗悪になっている感がある。子ども世界を席巻するプリキュアの影響力ははなはだ強く、幼稚園児が何かの拍子に「絶対許せない!」などというと、あーあと思う。そして、今も全プリキュアが集まってカメハメハか波動砲かというように派手に光りながら、多勢に無勢で戦っている。
こんな傾向を凌駕しようとでもいうのか、今回は「仮面ライダー×スーパー戦隊」なのだ。歴代ライダーと歴代レンジャーが勢ぞろいなのだ。映画のポスターのコピーは「史上最大のヒーローバトル」だが、そりゃごもっとも、たしかに行き着くとこまで行っちゃった感がある。とにかく数を集めようという無節操さ。これは何だろう。
内容は見ていないからわからないが、ライダーとレンジャーという、「いいもん」同士が戦うとは思えない。小学校の時、遅れて入った「マジンガーZゲッターロボ(この二つの名前を聞いただけでモーレツなノスタルジーにかられる人も多いだろう)」はこの二つのスーパーロボットが直接対決しなかったどころか、ライバル同士のようになって共通の敵と戦うものだったと思う。しかし、内容は想像できないなあ。だって、ヒーローばっかがあんなに膨大な数いて、どんな話が展開できるというのか。「いいもん」同士が戦えば正義同士の戦いでおもしろいが、「わるいもん」と戦うにしても「いいもん」の数が半端ぢゃないから、ライダー軍とレンジャー軍の合戦になるか。
で、この大勢、というのは何だろう。大衆化という近世の動向の帰結なのか。西山松之助の江戸文化の話はおもしろかったが、マスであることに価値を置くあまり、大衆であることこそが価値あることだという行きすぎがあって、今、古紙に出す本の山に入っている。ポップアートも僕にとっては魅力がない。
この大勢って何だろう。どう思います?AKBだって48人もいるってことに吃驚しましたよ。それ以前から、ジャニーズ系のアイドルグループは複数でしょ。一人で勝負する人がいなくなったんですかねえ。で、アイドルはたくさんいるけどスター不在、と僕は思う。ジュリーは明らかに、アイドルではなくスターだった。
で、どう思います?この大勢。なんだろう。マスに対して懐疑的な僕にはわからない。きっと僕の嫌いな「社会学者」という連中が気のきいたわかりやすい解釈を聞かせてくれるのだろう。どういう動向が見てとれるのか、教えてほしいものです。社会学者ぢゃなくても、これを読んでる人、聞かせてください。