死にゆく体の知恵

メリシャカというイベントにアジカンの後藤氏と釈徹宗氏の対談があるというので、はるばる京都まで行った。始まる前久々に釈先生と話した。彼は宗教学者であり僧侶でもあるが、NPOグループホームを運営しており、人をみとる経験も日常の様だ。そんな人から出る話は、ぼくも人をみとった経験を以て聞けて、大変興味深い。
死んでいくことは自然なので、体はその自然の通りふるまう。食欲はなくなって行って、食べなくなって死んでいく。死んでいくことに伴うような痛みも、体自身を不活発にし衰えさせることによって、しのいでいくという、体の知恵があるようだ。
ところが、点滴で栄養補給をする。衰えるという自然のプロセスを想定外のまま、健康で生きている状態を維持回復させようとする。活発に生かそうとすれば痛みをも活発化する。栄養を与えられ続け、死なしてもらえない。こんなようなことを、徳永先生からも釈先生からも聞いた。もはや若い医師は自然死の死体がどのような状態であるかを知らないで、上記のような治療行為を疑うすべもなくやってしまっているとのこと。すると、死体は枯れていない。今の死体は重いんだそうだ。いうならば、水死体のような状態だと。これにはショックを受けました。