死を思う娘たち

家が変わってから、娘たちはそれぞれの部屋でそれぞれの寝床で寝るようになった。しかし、眠る前に呼ばれる。話をしてくれと。長女はたいてい、おもしろい話をしてというのだが、このおてんば娘はなんと、本気で地獄がこわいのである。いい子だ。
「ナンマンダブって言ったらウソついても地獄におちん?」と、ある夜聞いてきた。「自分のことでウソつくことある。やめたいけどやめれない。」結構ウソはつける子で、嫌いな干し柿を食べたと言ったので誉めたのに、あとでカーテンの下から干し柿が発見されたことがあったのは2歳の頃だった。自分のことで注意されると容易に逆ギレする子が、それでも内省的な面を持っていることが分かる。
そんな話をしてるちょうどその時、下の娘が顔をのぞかせて目をうるませてぼくを呼ぶ。行ってみると、唐突に「父さんに死んでほしくない」と言いだす。「死ぬこと思い出した」と言って泣く娘。「USJとかたのしいことがあると死にたくないって思う」という。
死という不可避のものを思ってしまって、心が揺さぶられる。苦しい思いをする。いいことだ。その恐ろしさを救うのは、大人のテキトーな慰めでも、聞き心地のよい「いやし」のことばでもない。ほんとのことはつらくても、そのほんとのことが、救うのである。