誠実さ

誠実さとは、倫理という事柄に属す話になるか。善とは何かを考え善を実践することが、倫理や道徳の営みだとしたら、僕にはそれを語る資格はない。専門学校で倫理の授業を受け持った時、最初にそう言って授業を始めていた。善を語ることがはばかられる人間だから、倫理を超えた宗教というものに居場所を見出したのであった。
そんなぼくでも、誠実さというものがあるとしたら、今まで話してきた人に対するそれである。教壇から降りて久しいが、ぼくが講義という形で語ってきたことは、今でも自分自身でそれを生きようと思っているし、舞台は変わっても変わらずに求め続けてもいる。今の職業上、公的な「立場」としてものを言わなければいけない度合いが高い。妥協も必要になる。しかし、自分が言ってきたこと今でもそう思ってることにもとる行為をしなければならない時は、苦しい。のべで数千人に及ぶ人に話し、それを生きるように勧めてきた、かつて話を聞いてくれた人に対して顔向けできないうようなことは極力したくない。それにもとる行為をしたときは、悔しくて、聞いてくれた人たちに申し訳なくて仕方ない。そう思ってる限りは、時間がかかるだろうけど「もとる行為」をやめられると思う。あきらめちゃいない。
ぼくにとってそれらの人たちは単なる過去ではない。だからたまーに彼らから思わぬ通信があると、嬉しい。
自分の過去を「若気の至り」とか言って切り捨てようとする人は今言ってることも信用ができない。それどころかモーレツに腹が立って、酒の一杯でも顔に浴びせないと気が済まないほどである。