あまちゃんー歴史と自然

あまちゃん」をほぼ毎日たのしんでいる。宮藤官九郎ってうまいなあと思う。80年代リアルタイムの世代にとってはなつかしさのツボを刺戟されるし、そうかと思うとなぜか橋幸男だけは本物で、きっとおばあちゃん世代は胸が躍るだろうし。
この金曜日は一つのクライマクスだった。
主人公の天野アキという東京のさえない女子高生がひょんなことから母の実家の岩手県で海女をする決意をし、そこから開花していく。てっきり海女になって行くドラマを中心に展開すると思ったら、展開が早い。話が進むごとに、主人公の母をはじめ、周りの人の過去がどんどんあぶり出されていく。そうなるごとに、複数のドラマが浮上し同時進行していく。たくさんの歴史の道筋が、さらに交差していく。過去や歴史が、交差の度を強めて「運命」と呼びたくなる数奇でせつない様相で立ちはだかって来る。
複数の運命が一度に集まり、一点で、具体的には一室で交わってしまったのが、先週の金曜日であった。それはこのドラマを動かし続けていた運命的な動機でもあった。どうしようもなく共有されている否定的な過去が、それが人生の表面的には成功した人も挫折した人にも、沈澱し続けて今を作り上げてしまっている。共有されている公然の秘密が、秘密でなくなった時、オセロのコマが一気に黒から白に変わるように、否定的な過去が肯定的に受容される。
あまちゃん」の次の番組の人はモニターかなんかで「あまちゃん」を見ているのがわかる。次の番組のスタートにそれが反映されているからだ。「あさイチ」はその反映があからさまに許されているようで、「あまちゃん」の話題から始まったりする。それどころか、一時のニュースのアナウンサーまで、たった今まで見ていましたという表情の余韻を残して「一時のニュースです」と言った時には笑った。で、かの金曜の「あさイチ」の「いのっち」が「人に歴史ありですね。」と言ったのは適切な評であった。
それぞれの人の歴史を辿り、数奇な運命を描きだして、その絡み合いのドラマ、業とよんでいいような錯綜を豊かに展開させ、これで終わればすっきりきれいなハッピーエンドである。人間世界の、歴史の世界の浮き沈みやあくたもくたは、仮にそれがうまくいったとしても、それをつつむもっと大きな連関がある。歴史の世界も思うままにはならないが、異次元的に思うままにならないものの中に、人間世界はたゆたっている。その事実の威力を知らせるためには、あの幸福でやすらかな決着が必要なのだ。
このドラマは初めから時限爆弾が仕掛けられている。なので、折々の結末は、どんなにできすぎの、水戸黄門のように安定した結末でもいい。うますぎる話があってもいい。時限爆弾は着実に時を刻み、出番に備えている。土曜日の放送は3月11日の昼まで来た。もう顔をのぞかせている。終盤にかかりつづけた、予兆の胸騒ぎにしずかにつれこむような音楽がみごとだった。
金曜、土曜の2日間のたかだか30分で、濃厚で胸がひどくゆさぶられるドラマを見せてもらった。