豊かさの悦楽

蟻出るやごうごうと鳴る穴の中 村上鬼城
啓蟄を過ぎて桜のつぼみが一度にほころびだすような日和の後、春分というのにあられや吹雪に見舞われる境港の今年。
虫たちも、穴から這い出す時機をつかみあぐねているのではなかろうか。
 穴からひょこりと現れ出た一匹の蟻に、何を見るか。その一匹に連なって出てくる蟻の行列に何を見るか。蟻が、そこからやって来たところの穴の中、その暗がりにひしめき合って大音声を立てている蟻の大群、蟻たちの世界、そして地中世界の響き。
耳では聞こえない音を聞き、いいかえると存在に音を聞き、この世界の底にある見えない世界を感知する。世界はかくも豊かである。われわれに見えないものがあるからこそ、分からなければ分からないほど、豊かである。知を十全に開いて、かならずそこを境界づけている彼岸の現前を感得する。眼前の存在の奥行きを聞き取る耳=心耳がもたらす悦楽。