聖なる真昼

人は死に竹は皮脱ぐまひるかな 大峯あきら
 竹の生命力は比類がないのではなかろうか。一日に数十センチも伸びる生物がほかにあるだろうか。時折竹の皮がはがれる音のみがする真昼の竹林は耳鳴りがするくらい閑かだ。
 そんな生命力がみちた閑かな真昼にも人は死んでいく。竹は太陽に向かって伸びていくのに対し、死者は地中に足を引っ張られていくかのようである。明るい方へ伸びていく生の力と暗がりの方へ伸びていく死の力がひとつになえあわされたものをいのちという。生も死も包含する大いなるいのちが顔をのぞかせる真昼、それはまるで「真夜中と真昼がひとつになった」(ニイチェ)ようである。
竹が皮を脱ぐような成長のみ肯定する「前向き」な薄い生命観が横行している。死が脱皮であると受け止められれば、「前向き」は完遂されるであろう。そして、真昼の閑けさは底知れなくなる。