Ken Yokoyamaのライヴと子どもの成長

Ken Yokoyamaのライヴが家族イベントになっている。
昨年は8月に米子であり、44歳にして初めてダイヴをして、人に支えられる心地よさをたのしみよろこんだ。ダイヴがこわかったのはきっと人を信頼していなかったのだろうと思われた。浄土真宗系の講演を依頼され、ボディーワークを取り入れた。「信心」というのを身体的に受けとめる試みの中で、多くの手に持ち上げられ支えられることと任せること、それが疑いなく受け容れるということである「信心」の身体的リアリティーだというようなことをしていたのだが、それがまさかパンクのライヴのダイヴ経験から来る発想とは誰も気づかなかったであろう。
今年は松江で、おととしくらいに楽屋からひょっこり現れたケンちゃんに双子の娘がピックをもらったのと同じ会場で、娘たちは入るや否やいきなり大きくなったねなどと言ってもらっていた。
 今回はストイックに娘の一人をずっと肩車にしてのライヴだった。重くなったことを実感する。ま、5年生にもなれば当然だろうけど。子どもを育てるということの重さは、人間存在の重さは、抽象的な精神的な重さと考えちゃうと、軽くなる。存在の重さは体重ではないが、肩車して感じる重さでもある。
息子はどこだろうときょろきょろしていたら、モッシュの上でいささか硬い表情で大の字になっているかれを発見。前回までは後ろの方で見ていた彼が、今年は好きな曲がかかるやいなやモッシュの方に向かって走って行く姿も見た。大きくなったなあと思う。手や足の大きさは優に私よりデカくなり、体もでかくなったのでダイブしたって不思議はないかもしれない。それにケンちゃんのライヴキャリアはぼくより長く、小学一年生が初だったと思う。
双子のもう一人は妻の肩の上でノッていたし、中1の長女はモッシュでもみくちゃになって「おもしろーい。次はダイブ。」とよろこんでいた。
9割がた下ネタのアホ全開のしゃべりと超マヂメな思考とメッセージとが混在する横山健のたのしいライヴで、子どもの成長に見舞われたのであった。