柿と太陽

太陽の裏まで見えて柿熟るる 佐野青陽人
家の窓から柿の木が見える。ある朝、柿の木の間から朝日が見えた。朝日なんだけど、柿の実がなってるかのようだった。
太陽と柿の実が重なるということは不思議でもない。しかも、熟れて発光する柿の実がたわわになっている間に太陽が割り込めば、柿の実と並んで太陽も枝にぶら下がっているかのようではないか。
しかし、凡庸なイマジネーションでは到底ついて行けないのは「裏まで見えて」である。全面熟した色に染まっていることを、裏も表もという意味で「裏まで」と言っているのであろうか。ぱっと読んだら違和感なく受けとめられるこの句は、でもよく考えると分からない。
熟れた柿と太陽の裏とは何の関係もない。その二つには相当飛躍がある。そう。飛躍があることが、真実の詩である徴表であり、飛躍とは世界の真相へのダイヴなのだ。