合唱コンクールって何だ!?

中学生といえば合唱コンクールが定番なのだろうか。誰が、何のために、誰のために、やってるのか、よくわからない。まあ、学校行事だから生徒の「健全育成」あたりなのだろうが、健全さの尺度は多様にあり得る。
歌を歌うことでクラスを団結させる。健全な歌を歌うことで心が健全になる。歌の力で子どもたちが前向きになる。といったあたりだろうか。そんなこと思ってないかな。僕は思ってないから、憶測にすぎないが。自分の声が他の大勢の声と溶け合うことで脱我的喜びを経験するってことも目的に入ってるかなあ。
というのも、歌がというか歌詞が聞くに堪えない。まあ、合唱的教科書の歌的紋切り型で、多分一番多く出てくる言葉は「空」「風」「希望」「未来」あたりだろう。なので、絵にかいたような空想的な詩の世界で、あんな歌にどれほど中学生が共感できるのだろうか。できなければ、つまらん歌を興味もなく歌わされる学校的作業にならざるを得ない。とにかく歌詞にリアリティーがない。大空にむかって大きな声で歌ってみる、みたいな、そんなことする人ほんとにいる?音楽の教科書に出てくる歌にしか存在しない世界ぢゃないの?こういった教科書的な空想的な言葉遣いは、風とか空とかをもっとも根源的なものとして慎重に丁寧に語っている詩人のはしくれとして言わせてもらうと、有害でさえある。「旅立ちの今、未来に羽ばたこう」とか「未来を信じて」とか、恥ずかしげもなく古道具のオンパレードだ。ほんとにそんなこと感じている人がいるのか。それをのがれるように出てくるのはせいぜい、合唱曲に仕立て上げられたJポップのヒット曲といったところ。まあ、学校の先生ってのは、正しいことを(それがどんなに空虚でも)語り守らせるのが仕事だから、過大な期待は抱くべきではないのかもしれない。
ふと思い出したが、小生も中二の時だったか、文化祭の学年合唱の指揮者だった。それに先立つ合唱コンクールでクラスが優勝し、その時の指揮者が私だったから、学年代表と言うことになったのだろう。でお、クラスの指揮者に何で小生がなったか全くわけがわからないし記憶もない。歌った歌も覚えていない。それだけ気の入っていない学校行事立ったのだろう。ただ、文化祭の時は指揮者の乗る台が狭く高く、なんとなくこわかったのを、今思い出した。気の入っていない、見ててつまらん指揮をしたんだろーな。
ところで、ぼくには何の意味が有るかわからんのだが、他の保護者さんと話していると、「感動した」「みんなでこういうことをする機会もあまりないだろうし」というような意味づけを聞くことができた。少なくとも「誰にとって」は意味が有るのかということについては、親にとってというのは該当しそうである。