自発性のもの

中学生になってピアノをやめた娘が文化祭の合唱コンクールでピアノ伴奏に立候補した。吃驚した。拍手したいような嬉しさがあった。ピアノを習ってたが故のものだと、あらためてピアノの先生に感謝の気持ちが起こった。
だって、習ってた頃の娘はほんとにひどいもんで、ずっとやめたがって、練習も宿題もせず、先生に申し訳なさ過ぎてあわせる顔がない感じで、練習しないからうまくならないし益々やる気がなくなるし、という悪循環の数年間を費やしたのだった。
その娘が立候補と言うのだから感無量だ。そして彼女は本当によく練習した。習っていた先生のところに短期間限定で、自分から求めて、通った。練習段階で一度躓いて真っ白になったことがあったようだが、本番では美事に弾き切った。彼女らしい、情緒の奥行きを感じさせる演奏だったと思う。
習っている時は毎週のことでやる気が出ないが、目的があるからやる気が出るのだろうと話してくれたが、ちょっとちがうと思う。こと娘に関してはコンクールや発表会という「目的」さえ練習の動機にはならなかったからだ。「目的」が大事だと言うなら、あてがいぶちの目的ぢゃなくて自分から立てた目標こそ意味があるのだ。つまり、自発性こそが生きた力の中枢だということなのだ。