14歳の女子

中学2年の娘と父親の関係というのは、一般的に言っても簡単ではない。うちの場合、二言目には「ウザ」「キモ」と言うのが常態であるが、二言目ではなく一言目であるとか、そもそも一言もないとか、それによって関係は相当違いがある。何を言われても即答の反論で、それが的を射てるのを見るにつけて、頭がいい子だと思う(学校の勉強はよくできるとはいえない)。その即答性に口の悪さが結びつくと、長所が短所になる。家族に対してだけではない。学校の先生にもその調子で、臆することなく対決しているようである。「歯に衣着せぬ」物言いの、大切さと心地よさを覚えるとともに、「口は災いの元」を痛感してる私にとっては、心配でもある。
長男とは違い俗なところの多い娘は、流行りものや「みんながもってる」ものをほしがる。今ならスマホ。ゲーム機はとうとう許可されず中学生になったので今更いらないであろう。文具店に行けば何時間だっていられる。膨れたたペンケースにクルトガ、プリクラとって喜んでるふつうの女子である。そうかと思うと、高校生にまみれてひとり中学生でヨットに通えるという、群れなくてもいられるし、ひとと変わったところを好みもする。
しなさいと言われたことは全く身につかないのだが、自分の内からのものは続けることができる。朝、姉妹で分担してる掃除は一向に習慣化しないのに、昨年亡くなったハリネズミのお墓には外出時・帰宅時に必ずあいさつをしている。弱いもの、小さきものにすっと寄り添ってしまう、そういう、「力」(能力とか人間力とか)とは反対方向にある徳(といっていいかどうか)をもった人が辿る困難な行く末が漠然と思われて切なくなる。
日々の荒々しさから来る兄弟姉妹トラブルは、妻が全部負って参っちゃってるのだが、その粗野な娘の誕生日が13日の金曜日苦しんで死ぬという語呂合わせのできる、9月4日であった。プレゼントにはiPadにちょっと曲と写真を入れて送った。写真は乳幼児期のものをいれたら誕生日らしかろうと思い、チョルベン顔負けのキャラクターなので、まあ楽しんでくれるであろうと予想した。
包みを開けて、その小さな機械に息をのむように喜んだ。全く意外だったようである。そして、妻から説明を受けて写真を開いた。ハイハイをしてるパンパンな顔の自分の姿を見た彼女から、涙があふれた。涙の理由はわからない。生まれた頃の、つまり自分の始まりからの14年が今となって押し寄せて、何かを決壊したのかもしれない。わがまましながらも決して平坦ではなかったことは小学校の頃を振り返ってもわかる。理由も推測もどうでもいい。しかし涙があふれてしまう14年を刻み、それがこみ上げる今を生きているというだけで、よく育ってくれたと底なく思う。