言葉がわからない電力会社

「島根原子力発電所 低レベル放射性廃棄物モルタル充填に用いる流量計問題に関する調査報告について」という、タイトルを見ただけでは何をするか分からない、中国電力主催の会にい行ってきた。このタイトルのわからなさは誤魔化しがあるからです。中電がそういう姿勢だってのがタイトルでわかっちゃうとは、おそまつ。操作ミスと、そのデータ捏造についての謝罪と報告の会、って言わないと何する会か分かんないでしょ。
1回目の平成19年はデータ改竄、2回目の平成22年は点検漏れ、今回は3度目だそう。「再発防止対策に取り組んでいるにも関わらず、不正事案が発覚し」と中電自身が書いてるのだから、深刻さを認めたに等しく、これは「体質」と言われても仕方ないところでしょうね。
話を聞いていて、技術的なことはむつかしい。電力会社の隠蔽・捏造体質については知識がないので突っ込めない。会社組織の問題についても言える語彙をもたない。そんな私が言えるのは言葉のことのみである。
一人の目の質問に答えて、中国電力常務取締役島根原子力本部長古林行雄氏は「地域の信頼なしに原子力は運転できない」と言った(「原子力」ではなく「原子力発電所」だったかも)。
私は質問した。「「地域の信頼なしに原子力は運転できない」と言われたが、それはなんとなく言ってしまったことなのか。そうぢゃないとしたら、原発を再稼働するときに地域住民の意見を聞いて決定するというふうにとっていいのか。地域の信頼を何らかの仕方で確かめて、境港では原発再稼働の賛否のデータや中電を信頼しているかどうかというデータはないはずだから、そういうデータをもとに信頼度を判断して再稼働を決めるという意味なのか。」
古林氏いわく「今2号機を審査中であるから、今再稼働について話すのは時期尚早である」
さらに私は質問を重ねて「時期尚早というなら、しかるべき日が来たら、地域の意見を聞いて再稼働するか否かを、聞かせてもらえますか。その時期が来たら、答えてもらえるんですか。私に。待ってますけど。」
古林氏いわく「再稼働のことは時期尚早ですから。」
質問打ち切り。答えになってない。ちゃんと対話しましょうよ。とノーマイクで中声の捨て台詞の私。
帰りのホワイエで古林氏発見、ちゃんとコミュニケーションとるために再度聞こうとしたら、たくさんの取り巻きがいて、立ちふさがって「これから記者と話をする時間だから」と、追いやられる。そしたら記者の一人であろうか、記者だけなんて言わずに聞いたらいいぢゃないか、といってくださったので、再度古林氏に面と向かって同じ事を言う。全く同じ結果。
「再稼働にあたって住民の意見をいれて判断するかどうかは、時期尚早と言われた。で、時期がきたら、答えてくれるのですか。これは単純に答えられる話なんですけど。」「ですから時期尚早で。色々な機会にみなさなのご理解がいただけるよう努めて参ります。」「いや、だから答えになってないでしょう。」すると横から若い者が遮って「だから時期尚早だからって言ってるでしょう」といって追い払うような状況、記者さんも「水掛け論になるから」と言われるので、やめて帰った。
コミュニケーションにならない。さらに具体的に言わなきゃいけなかったのか。「時期尚早というのだから時期が来たら答えてくれるのですか。という質問だから答えは2つ。?はい。答えます。?いいえ、答えません。このどっちかでしょ。はいかいいえで答えて」、と。そこまで言わないと分からないのか。「はい?いいえ?ー時期尚早」それは答えになってないでしょう。「だから、なんども言ってんだろ」的な態度でわりこんでくるわりに質問が理解できていない。ひとの簡単な質問を理解しようとせずにいて、「みなさまのご理解を賜りたく」なんて言う資格はない。
二度目も結果は同じだったが、その途中に加えて言ったことは以下のようなこと。しつこくこの質問をしているのは、「不正」があったことを繰り返さないための意識改革とか倫理とか言っているから。言葉に対する誠実さなしに倫理はあり得ない。問われたことに答えるコミュニケーションなしに信頼関係はあり得ない。といって、答えを求めたんだけどね。
結局、問題をどこか遠くに見てるというのが問題の所在かな。不正行為の再発防止のために原因分析し「意識面の問題」あげ、「企業倫理委員会」に諮問し、改善策をあげ「地域に対し一人ひとりが約束を果たし続ける意識のさらなる向上。」だそうです。
古林さん、今、目の前にいて尋ねているもの一人に「はい」も「いいえ」もいえないなら、今ここがこの改善策を実現する現場であり、信頼作りの一歩だということがわからないんですかねー。それならこんなこと書かないことですよ。
えらい人が軒並み思考停止で問題の所在への嗅覚もないのだから、多くの参加者が言うように、原子力という大変な物を扱う資格はない。こわいこわい。
時間かけて労力かけて対策して、どんなに立派なシステム作っても、そこに生ま身の私が切実に入ってないから、実のない言葉によって作られたシステムが空回りし続けるだけ。