食べるとき歴史がおとづれる

夕食に妻とパスタを食べに行った。ジェノベーゼが私は大好物である。ジェノバペーストをからめたパスタで、バジル好きだった私は初めてそのパスタを食べたときは感動した。いや、ジェノベーゼを食べてバジル好きになったのかもしれない。初めて食べたときのお店のジェノベーゼは、ジャガイモとインゲン、松の実という具で見た目は物足りないような、むしろ奇異な感じさえ受けた。しかし食べたときの驚き、満足感はたいそうなものだった。
それ以来、ぼくはパスタを食べる機会があると必ずジェノバペーストのパスタを注文するようになった。しかし、ジェノバペーストが緩く、質感が今ひとつだったり、バジルの濃さがもの足りなくて水増しされた感じのものだったり、あるいは具材に鶏肉が入っていたりバジルと調和しない野菜などが入っていたりと、あのとき食べたもとは違っていた。違っていることは当然ではあるが、比肩するものはなかった。
初体験の相手を忘れないというのは本当かどうかわからないが、初体験が基準値になるということはある。そして基準値が上限値になってしまうこともあるのであろう。
妻と来たのは初めて食べたお店であった。そしてまったくかわらない味だったのである。妻が、「17年前とおんなじ」と言った。彼女は17年前初めての妊娠で苛立ち、不安定、苦悩のただ中にいた。今考えればそんなことは、というようなことであっても、当時は受け止められなかった。彼女はこの17年に4人の子どもを出産し、育て、今も葛藤中である。「いろいろあったね」というともなく、僕の口からもれた。こんなに色々あって驚くことに17年も経ってしまっているのにこのパスタは変わらずに居続けたのだ。二人でぼろぼろ泣いてしまった。ごちそうを前にといいながら泣きながら笑ってジェノベーゼを食べた。食べ物にこんな風に揺さぶられる経験は初めてだった。
このお店はトラモント(京都寺町二条)のことである。